国立天文台の場所

国立天文台(旧 東京天文台)三鷹移転100周年記念式典 | 国立天文台(NAOJ)

このページに触発されて、少し国立天文台の場所について調べてみた。

「東京府北多摩郡三鷹村(現:東京都三鷹市)に移転してから100周年を迎えること」と書いてあるが、どこから移転したかを書いてなかったので調べてみると、国立天文台の別のページ{歴史 | 国立天文台(NAOJ)}で「明治時代になり、本郷の東京大学構内に学生の実測用に天文台が作られ、1888年(明治21年)に東京府麻布区飯倉町に東京天文台が作られました。その後、1924年(大正13年)に、天文台は北多摩郡三鷹村大澤へ移転しました。」と書いてあった。また、国立天文台 – Wikipediaによると、「海軍水路寮が東京府麻布区飯倉(現:東京都港区麻布台)に設置した観象台から始まる。」とある。

さて、明治の地図をみると

明治四十年一月調査東京市麻布區全圖|所蔵地図データベース (nichibun.ac.jp)

ここにある「帝国天文台」がそれにあたるのだと思われる。

さらに古い地図で見ると、

五千分一東京図測量原図 : 東京府武蔵国麻布区永坂町及坂下町近傍|所蔵地図データベース (nichibun.ac.jp)

この「海軍観象台」が前身にあたるのだと思う。これはWikipediaの記述とも整合するので、ここで間違いないんだと思います。

海軍観象台・帝国大学東京天文台跡 日本経緯度原点(中) – 日経サイエンス (nikkei-science.com)

この記事からすると、「帝国大学東京天文台」ってのが正式名称で、帝国天文台はそれを縮めて書いた形ですかね。

10_hajimari.pdf (city.minato.tokyo.jp)

こんな感じだったようですね。

ちなみに、跡地にある「日本緯度経度原点」は現役のようだ。

「日本経緯度原点 | 国土地理院 (gsi.go.jp)

おまけ。

「日本で継続的に星の観測をするようになったのは、江戸時代後期、幕府天文方の浅草天文台からでした。」について、調べてみると江戸末期の浅草(蔵前)の地図を見ると

東都淺草繪圖|所蔵地図データベース (nichibun.ac.jp)

「天門ヤシキト云 領暦所御用屋敷」のところに天文台があったようだ。

貴重資料展示室006 江戸時代の天文台 – 国立天文台暦計算室 (nao.ac.jp)

[慶応改正御江戸大絵図] – 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

こっちだと、天文ダイと書いてあるな。

追記

麻布の東京天文台があったところは、この天徳寺(左側の849坪)のところと思われます。

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